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1999年〜

*邦画界に新潮流
*犯罪者の更正法見直しへ
*病名アカデミー賞発表
*変わる商店街
*受験王広川

■邦画界に新潮流
TV番組の映画化が続々

【1999/4/1=光デパート】 アニメ以外の邦画としては記録的な大ヒットとなった「踊る大捜査線THE MOVIE」、スマッシュヒットとなった「Xファイル・ザ・ムービー」に続けとばかり、現在映画界においてTV作品の映画化がブームとなっている。
背後には、興行成績の低迷、資金部足から人材と技術を育成することが難しくなった邦画界が、TV界から侵食されている現実があるようだ。

東映が今年の秋の目玉として用意しているのが「キューピー3分間クッキング THE MOVIE」。
主婦層から長年支持を得ている長寿番組だけに、踊る大捜査線以上のヒットが期待されている。
「映画化にあたっては、まずシナリオ重視の姿勢を明確にしました。」
キューピー3分間クッキング THE MOVIE制作委員会の田島遥氏(日本TVプロデューサ)は語る。
4人の脚本家を集めた南伊豆の合宿で、基本的なコンセプトが練られた。合宿では、灰皿が飛び交うほど熱の入った激論が交わされたという。
「長野の虫料理なども候補にあがりましたが、やはり家庭料理の王道を、ということでテーマを肉じゃがとしました」

シンプルだがごまかしのきかない料理。この難しいテーマに、TVドラマ出身の佐藤宗弘監督が挑む。
「主役の江角マキコを中心に、3分間の人間ドラマをスクリーンでいかに深く描くことができるか」これは挑戦的な仕事、と佐藤は言う。
アナウンサー山王丸役の江角を中心に、たまねぎ役の柳葉敏郎、12000人のオーディションから選ばれたシンデレラガール、田沼エリ(ジャガイモ役)が絡む。ドラマの鍵を握るのは、料理指南役でありながら元KGBの過去を持つ謎のロシア人、大山のぶ代(ブタ肉と2役)だ。
「2時間半という上演時間の長さをを感じさせない、サスペンスタッチの料理映画にしたい」と佐藤は言う。過去を隠しながら懸命に生きる醤油、影で不審な動きを見せるみりん、全てが衝撃のラストへと収斂してゆく。今年度最も注目される映画になることはまちがいなさそうだ。

日本テレビではキューピー3分間クッキング THE MOVIEと平行してホラー映画「笑点 大喜利 THE MOVIE」の企画も進行中。山田隆夫の背後に蠢く松崎真の影。死んだはずの小円遊と三波伸介が...。夏休み公開予定の「笑点 大喜利 THE MOVIE」は、映画関係者から早くも和製ホラーの決定版と噂されている。


■犯罪者の更正法見直しへ
従来の考えかたに限界
個性と能力を活かす更生法

【1999/4/1=光デパート】 今なお対人地雷の撤去作業が続くカンボジア。ここで、一人の日本人の超人的な活躍が注目を集めている。
「いやあ、なんてことはないですよ。慣れですよ、慣れ」そういうと今野さん(仮名)は次の目標を見定め、いきなり対人地雷へと突っ込んでいった。
豪音とともに10メートル程の土煙が舞いあがる。普通の人ならば即死の状況だ。
周囲の人々が不安そうに見守る中、次第に土煙が収まり、中から五体満足の今野さんがあらわれた。
「シャバの稼業じゃぶつかる相手は動いていますからね。それに比べると地雷なんざあ木偶みたいなもんで」ズボンをはたきながら気楽に答える。
そう、今野さんは当たり屋出身の地雷撤去作業員なのである。

従来、木工品や家具の制作など、手工業が中心であった刑務所の労働が変わりつつある。単純労働や職人の需要が伸び悩むなか、手に職をつけさせて再犯率を下げるという本来の目的に沿わなくなってきたからだ。
そんな中、犯罪スキルを一種の才能ととらえ、積極的に生かそうとする試みが広がりつつある。地雷撤去NGOへの当たり屋参加はその一例だ。

2月某日のニューヨーク外国為替市場。この日の市場はいきすぎた円高を是正するため、日銀が円売り介入に入るのではないかという警戒感に満ちていた。
市場が閉じようとする1時間前、日銀の大規模な円売り介入が始まった。
市場のドアから、あきらかに堅気の人間とは違う集団がなだれ込むと、呆然とする為替ディーラー達を相手に、迫力の円売りを仕掛け始めた
「さあにいさんよってらっしゃい見てらっしゃい、これを見逃すと一生の後悔ものだよ!112円50銭はする円がたったの115円、今ならリラとドラクロアもオマケだもってけドロボー!」
テキヤ、たんか売り出身の日銀円売り部隊の介入である。
「おう奥さん、なめちゃいえねえ、円が売れるまではここを一歩もうごかねえぜ!」
ひるんだディーラーに対し、背中に赤子をしょった押し売り出身のディーラーがすごみをきかせる。
サクラもまじえた大混乱のニューヨーク市場で、円はみるみる安くなってゆく。
「あなたの今の不幸はね、前世で円を買った因果なの」
霊感商法で有名な宗教団体出身の元犯罪者も、ツキに恵まれていなさそうなディーラーを狙いうちにして多額の円を売り付ける。

さすがのディーリングのプロたちも、裏世界でシノギを削ってきたツワモノ相手では赤子のようなもの。
市場が閉まり日銀系ディーラーがいっせいに引き揚げた後には、急激に下がった円レートと、霊験あらたかな壷をかかえて呆然とするディーラーたちが残された。

日銀では円売り部隊の成功を受け、将来の円安対策を見据えた地揚げ屋出身円買い部隊の結成を計画している。
既にNY市場の近くにはドーベルマン、占拠時用の麻雀卓、実力行使時に必要なパワーショベルが用意され、部隊の到着を待っている。円レート安定の鍵は、更正した犯罪者が握っているようだ


■病名アカデミー賞発表
最優秀病名賞としてサイトメガロウィルス感染症

【1999/4/1=光デパート】 今日、専門家の間で昨年もっとも優秀とされた病名を選定する病名アカデミー賞の発表があり、最優秀病名賞としてサイトメガロウィルス感染症が選ばれた。

病名アカデミー賞は、実業家として活躍した国原徳治氏が、昭和58年に実父を「もやもや病」で亡くした経験から、「みじめな病名で死ぬ苦しみから人々を開放したい」との願いを込めて創設した賞。
平成10年には、医療業界の命名センスを向上させたとして厚生大臣の表彰を受けている。

病名アカデミー賞も今年で15回目をむかえ、様々に工夫をこらされた名前が審査員たちを悩ませた。 そんな中、サイトメガロウィルス感染症は「現代的センスの中にも硬骨な雰囲気を漂わせている」ことを理由に多くの審査委員の支持を受けた。
審査評議会の病名評論家長田氏は、「下馬評ではサルコイドーシス病が有力だったが、語感のくどさが病気としての尊厳さをうまく表現している点が評価された。サイトメガロウィルス感染症で死んだ故人たちもさぞや喜ばれるだろう。」と受賞理由を語る。

15年間歴史をもつ病名アカデミー症。中には、受賞してからというもの急に発症患者が増えた病気もある。
中でも1992年に受賞した在郷軍人病は、同年にヒットしたハリウッド映画の相乗効果もあり、ミリタリーファッションの一環として若者の間で流行した。当時は東急ハンズなどでレジオネラ菌培養セットが飛ぶようにうれたという。

最近の命名傾向を、長田氏は次のように語る。
「一つは女性向け市場。すでにグッチがこの分野に進出への進出をアナウンスしています。女性に多い痔の病気も、グッチブランドの効果ではずかしがることなくカムアウトすることができます」
長田氏は、いぼ痔、きれ痔にヨーロッパセンスのシックな名前がつけられるのも間近とみている。
「二つ目は子供の感染症。少子化傾向に伴い、子供の病名にもブランド化が進む傾向にあります。」
少年ジャンプ、コロコロコミック編集室には、小児医療を研究する複数のチームからオファーがきているという。病気に悩む子供達が、自らの病名をはばかることなく自慢できる時代は、すぐそこにきているようだ。


■変わる商店街
冬の時代を工夫で乗り切る
政府も特別法令で後押し

【1999/4/1=光デパート】 今、商店街は冬の時代といわれる。そんな中、個性的な演出で大手流通業界から一目置かれている商店街がある。
神奈川県川崎市にある一見普通の駅前商店街。だが一歩足を踏みいれたとたん普通の商店街とは異なる雰囲気に圧倒される。

アーリーアメリカン調の町並みはどこかくすんでみえる。
なぜか顔を黒く塗り、黒人のふりをするクリーニング店主人。振りかえると、コロッケを売っている肉屋のおかみがコールガール風に誘いをかける。
いったいどうしたことかとあたりを見回すと。皺のついた白い麻のスーツに身を包んだ初老の男が声をかけてきた。
「よしなよ。詮索しても何も出てこない。ここに流れているのは死んだ時間だけだ。」
森山周一郎ばりの渋い声で語りかける商店街会長の泉さん(薮そば主人)。
ここは日本で、というよりは世界で初めての政府公認ハードボイルド商店街だ。

「こんな風の日にはよくないことがおきる。あんたらも、気をつけたほうがいい。アレはもっているようだな」
くわえようとしたKOOLでこちらの左胸を指す。上着の下に、ホルダーに収まったコルトがあることはお見通しというわけだ。
ここでは、銃機を持ち歩くことは違法とはならない。商店街の活性化のために、拳銃の所持が特別に認可されているからだ。

泉さんの奥さんが薮そばののれんを仕舞い、はやく家の中に入るよう注意する。
「どうやら、俺の小猫ちゃんはご機嫌ななめのようだ」
肩をすくめると泉さんはそば打ちの仕事に戻っていった。

道にでようとすると、スコッチの小ビンをくわえた寿司屋のおかもちが、トランクの上に寿司桶を括りつけたトランザムに乗り、猛スピードで傍らを過ぎ去っていった。
50年代のGMに乗っているかぎり、スコッチを飲んでの飲酒運転も特別とがめられることはない。
その時、後頭部に鈍い感触が走った。目の前が暗くなった。


「ぼうや、探偵ごっこにはまだ早い歳ね」
気がつくと、肉屋の店頭に転がっていた。
肉屋のおかみはカウンターにもたれかかり、メンソール臭のきついシガレットに火をつけると、名刺大のカードをしげしげと眺めた。
意識を失っているうちに懐から抜いたIDカードだ。
「ブンヤなの?」
まだ痛む頭をかかえながら肯く。
「正直ね。長生きするには、それが一番よ」
商店街で買い物をするには事前に予約が必要だ。電話で、コロッケを注文していたことを思い出した。
「もうお別れね。シャンパンはないけど、このコロッケでお別れの乾杯をしましょう」
コロッケ一つを買うにも、徹底してハードボイルドな演出。この商店街が顧客をひきつける秘密だ。

ふと見渡すと、同じように大根を握りながら八百屋の店頭に倒れる者、背中に銃口を突き付けられながらチャーハンを掻き込むラーメン屋の客など、ハードボイルドな演出に酔いしれる客で 商店街はごったがえしている。
不況脱出のヒントは、この商店街のような差別化とサービス精神にあるようだ。


■受験王広川
世界最大の受験王
各界から惜しむ声続続

【1999/4/1=光デパート】 受験道の創設者で知られる広川正信氏(受験生)が、心不全のため今日午前3時死去した。享年83歳。
広川氏は旧制一高受験時代から生涯の全てを受験に注ぎ、今や世界各地に広がる「受験道」を一代で築いた立志伝中の人物。生涯一受験生を貫いた偉人の死に、世界は深い悲しみに沈んでいる。

広川氏は、安易に合格を賛礼する昨今の受験界の堕落を嘆いていた。
「不合格こそが人の肥やし」。氏の受験哲学は、不合格こそが人間を成長させるという一言に集約される。
「受験とは、不合格になることとみつけたり。現役合格など愚か者のすること」広川語録にはそうある。
東大に落ちること53回、ギネスにも載った氏の活躍は、日本の文化ジュケンを向上させるとともに、それを世界の共通語「JYUKEN」にまで高めた。

東大で現国の入試問題の出題、採点を担当する島助教授は語る。
「高いレベルをクリアしつつ紙一重で合格しない・・広川氏の受験はまさに芸術の名にふさわしいものでした。いつでも、合格しようとすればできたでしょうに」
島助教授が現在の担当になる以前から、合格ボーダーラインのギリギリのところに必ず広川氏の名前があった。
「それに・・納得した質の高い問題にのみ答える広川さんの答案は、我々の出題を逆採点しているかのようでした...初めて広川氏の答案を採点しているとき、自分の手が震えていたのを今でもよく覚えています。」

広川氏のエピソードとして有名なのは、W大学受験事件であろう。
W大学の試験に現れた氏は、その設問を読むや否や、一文字も記入せずに受験場を立ち去ったのである。
その後、出題者が一同に集まり、出題方針について抜本的な改革を行ったことは言うまでもない。
「お亡くなりになる前に、せめてもう一度だけでも受験してほしかった」
長年受験問題改革にとりくんできたW大学入試問題評議委員会の厚田さんは語る。

大手予備校に乗り込み、授業の質の低さと授業料の高さを糾弾した武勇伝は数知れず。
フラリと授業に現れては、講師をはるかに凌ぐ知識と受験技術で圧倒する広川氏の姿は、予備校にとっては恐怖であり、一方受験生にとっては理想の受験像を生きる先達の姿として励ましとなった。

受験の巨星堕つ・・・ニュースは衝撃とともに世界の受験界を駆けめぐった。
サンパウロ、マニラ、ソウル、シンガポール、中国、デンマーク、アメリカ、全世界に20万人の弟子を持つ氏の生活は、その名声に似合わず質素なものだった
死の直前まで、活動の中心としてきた東京中央図書館に隣接する有栖川公園で、昼飯に手作りの握り飯を頬張る氏の姿があった。
また、代ゼミでは氏の好物とされる名物の焼きそばをすする姿が度々目撃されていた。

本人の希望により葬式は行われず遺体は蛇尾にふされたが、有志による「広川受験生を偲ぶ会」が芝郵便貯金ホールで行われる予定。
当日は、マークシート方式の記帳台に並ぶ弔問客で溢れかえることだろう。
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