
CHAP.1
新宿には、まだ借り手のつかない貸しオフィスがビルのあちこちに点在する。
人目を避け、足音を忍ばせて裏手の非常階段を登り、12階の空きフロアに合鍵で
侵入する。外からは小さく見えた「入居者募集」の垂れ幕が、巨大な壁となって
窓側の一面を占拠している。垂れ幕の隙間から高層ホテルの林立する西新宿を眺め、
目的のホテルに見当をつけると、三脚に27インチの望遠スコープをセット。
41階のスイートルーム。ターゲットまで直線距離で1.5マイル、間に障壁は
ない
スコープの焦点をあわせると、カーテンの隙間に初老の男性がみえかくれする。
自民党中堅派閥の領袖、小林官房長官は、定例記者会見の数時間前に必ずこの
スイートルームで秘書とブリーフィングを行うのだ。
腰のポケベルが鳴る。準備が完了したとの相棒の連絡だ。彼はホテルのボーイに
なりすまし、秘書2名を入口にひきつける。
アタッシュケ−スを開き、43種の携帯・PHSの電波状態を確認しチョイス
する。
電波状態がよければいいというものではない。特に今回の狙撃には、ある程度の
通話のブレ、聞き取りにくさが必要だ。
セルラーHP-40Mをチョイス。長年使い込んだ名器だ。ターゲットの番号を再度
確認し、耳にあてスコープを凝視する。
再度ポケベルがなる。今頃、秘書たちは突然現れた要領の悪いボーイに手こずって
いるはずだ。
通話ボタンを押す。発信音とともに、スコープの先で小林が顔をあげる。発信音が
2回、3回。ようやく小林が立ち上がる。そう、自分でとるしかない。
「もしもし」不機嫌な声だ。「どなた!」しばらくじらしたのち、あらかじめ録音
したクリティカル・ボイスを受話器に流し込む。
「何だったっけ?」
「はあ?」
「土谷のホーリーネーム、何だったっけ」
受話器の電源を切断し、すばやくスコ−プをバッグに詰め現場を離れる。狙撃は
完璧だ。今頃、奴は受話器の前で首をかしげていることだろう。
非常階段を降りながら、相棒に終了の合図を送る。あとは、結果を確認する
だけだ。
成田のホテルにチェックインし、政治関連の記者会見を専門に放映するCS
チャンネルを呼び出す。そろそろ、官房長官の定例記者会見だ。
今日のテーマは普天間基地のヘリポート移設について。環境アセスメントの
一部に捏造疑惑がもちあがり、政府が突き上げられている問題だ。
記者団からおさだまりの質問が相次ぐ。質問がヘリポートの暴風雨への耐性に及ん
だとき、官房長官の眉が上がり、視線が宙を彷徨った。
「クシティガルバだ!」
「長官クシティガルバって何ですか」
「土谷のホーリーネームだよ!」
胸のつかえがとれ、晴々とした顔の官房長官に、記者たちの唖然とした視線が
降り注ぐ。オウムマニアで、几帳面な性格の彼は、こちらの思い通りにクリティカル
・ワードに反応してしまった。これで次期総裁レースからは脱落したとみてよい
だろう。
依頼者の素性は見当がつくが、全く興味はない。いまごろスイスの口座には、
2年間モナコで遊び暮らすだけの金が振り込まれているはずだ。
モニタの電源を落とすと同時に、アタッシュの中の電話がなり始める。
おかしい。
番号を知るものはいないはずだ。間違いか、それとも..
着信音は3回で終わった。アタッシュを空ける。すると、43種の携帯、PHSが
いっせいに鳴り、マーチを奏で始めた。
この種の悪趣味な技術を持つ組織は、世界に2つとないだろう。
俺がクビになった職場だ。
やがて電話はいっせいに鳴り止み、狙撃に使用したセルラーのみが再び鳴り始めた。
折り畳み式の受話器を開く。
「見事な手際だったな」
低い嗄れ声が電波のむこうでがなりたてる。
「あいかわらずお見通しか、NSAは」
「だが、アナログセルラーはまずい。通確性に欠ける」
「電話談義だったら切るぞ」
「まて、仕事の話だ。いいときに日本にいてくれた。2日後に狙ってほしい
ターゲットがある」
随分と急な話だ。
「仕事のインターバルは半年以上空ける。鉄則だ。天下のNSAだろ?お払い箱の
ロートルにたよらず自分達で何とかしろよ」
「”アラブの蛇”がらみの仕事だ。それでも断るか?」
いきなり切り札をだしてきた。事態は相当切羽づまっているらしい。
CHAP.2
イタ電の政治軍事分野への応用は、第2次世界大戦時のナチスドイツに始まる。
ドイツ機甲師団がフランスに侵攻する3日前、マジノ線を防衛するフランス軍に、
「視界の真ん中にある鼻、邪魔じゃないか?」との謎の通信が一斉送信された。
ゲッペルスの発案といわれる「イタズラ通信作戦」は、マジノ線突破後にその有効性
が確認された。フランス軍犠牲者のほとんどが、より目となり自分の鼻を見つめる
表情で事絶えていたのである。
その後、北アフリカ戦線において、ロンメル将軍は
「イタズラ通信作戦」を多用し戦果を収めた。イギリス軍は、砂漠の駐屯地に波状的
に仕掛けられるイタズラ通信、「冷たいギネスにニシンの酢漬け」にノイローゼ気味
となっていたのである。
ドイツ降伏後、ナチスの技術は米ソ2大国に引き継がれた。軍事目的のイタズラ
通信は、工作員による世界要人への「イタズラ電話」へと形を変え、世界の檜舞台の
裏で、各国の諜報員が熾烈な狙撃活動を繰り広げることとなる。イタ電スナイパーの
登場だ。
米国におけるイタ電スナイパーの活動は、おもにNSAが取り仕切った。
1980年以来、俺はスナイパー防止のエキスパートとしてキャリアを積み重ねてきた。
忘れることができないのは、1992年、ブッシュ大統領訪日の際の大失態だ。
そのころ、大統領はハードスケジュールで体調を崩していた。
睡眠薬で眠りながら、テニスは参加し、大統領選にむけ健康ぶりをアピールした。
最悪のコンディションだ。イタ電がヒットすればひとたまりもない。俺はNSAの
セキュリティ担当として、スケジュールの間引きと十分な休養を主張したが、政治的
事情が優先し受け入れられることはなかった。
アラブの蛇と呼ばれるイタ電スナイパー、マフムード・ハッサンが潜入中との情報が
入っていた。背後に、イラクの影を感じていた。
大統領には直接電話をとることがないよう、日ごろから十分に注意を喚起していたが、
風邪と睡眠薬で朦朧としていたのだろう、宮中晩餐会に向かう途中、廊下に仕掛けら
れた携帯電話を不意にとってしまった。
「バスの匂い」
完璧だ。ひとたまりもないだろう。
その直後、晩餐会で大統領が人事不省に陥り、嘔吐したことはいうまでもない。
その夜、バクダットでは祝杯があげられたことだろう。この件の責任を取る形で、
俺はNSAを追われ、裏稼業に身を落とした。
アラブの蛇、マフムード・ハッサン。
奴には、借りがある。
CHAP.3
ホテルのフロントに、自分宛の預かり荷物を確認する。伊香保温泉のロゴが
プリントされたビニール製手提げ袋。部屋に戻り、ベッドの上でビニールを破ると、
草原に牛が草を食むイラストを背景に「高原ミルククッキー」のロゴがプリント
された菓子包みが姿を表す。NSAのみやげ物だ。
箱を開けると3センチ厚のプラスチック製書類フォルダ。
フォルダの蓋を開くと、ラミネートパックされた写真がこぼれ落ちる。シャハド第三
王子。サウジの外務を担当するキレ者が、今回のターゲットか。
要人狙撃の要は、本人に対し、いかに直接的なパスを開くかにかかっている。
日本の官房長官とは異なり、世界の要人に直接電話をかけることは、ほぼ不可能と
いってよい。今回はさらに、アラブの蛇、マフムード・ハッサンがディフエンスに
ついている。
NSAの用意しているクリティカル・ワードの効果は、100%の実績があり問題
はない。狙撃は、いかにターゲットに直接電話をとらせるかの知恵比べだ。
シャハド王子の来日にあわせ、明日イラン大使館でサウジ−イラン間の極秘会談が
行われる。相手は、オクスフォード留学時代の盟友の外交官。二人の個人的つながり
が、サウジ−イラン間のパイプとして長年機能しつづけている。イラン封じ込めの
ため、この関係に楔を打ち込んでおきたいというのがアメリカの意図だろう。
当然、狙撃は会談の直前でなければならない。移動途中か、大使館で狙うのが
セオリーだ。
早速ホテルを出発し、NSAの用意した車に乗り込む。大使館周辺を流しながら
狙撃の可能性を探る。右翼の街宣車がいきかい、街はさわがしい。
対談が予定されているのは、道路に面した一室。ガラス窓は銃弾のみならず、
あらゆる電波をシャットアウトしているはずだ。
CIAの諜報員が潜入し、アンテナを数珠つなぎに設置し電波のパスを設ける。
日本政府から贈られるはずの「たまぴっち」で対談直前に狙撃する。このシナリオ
は、イラン側に諜報員の存在が発覚することで崩れた。で、俺の出番なわけだ。
続いて、新宿に移動し、都庁視察中のシャハド王子を観察。ハッサンが常に傍ら
に控えている。ためしに、王子の携帯に電話をかけてみる。案の定、ハッサンが
電話を取る。
やはり、大使館で狙うしかない。しかし、どうやって。
もう一度、大使館の前に車を移動させ、パスを確立する方法を考える。道を2本
隔て、双眼鏡で会談に使用するであろう部屋を注視する。あいかわらず右翼の街宣
車がうるさい。NSA調達のバンの中にまで、軍歌が響きわたる。
堅牢な作りの部屋は、いかなる電波の侵入も許しそうにない。完全な通信密室だ。
密室。
ふいにアイディアが浮かぶ。アイディアがこぼれ落ちないうちにいそいで必要な
アイテムをリストアップし、タイムテーブルとワークフローを書きつける。残り
18時間。なんとかいけるか・・・・
赤坂のホテルで3時間の仮眠をとり、シャワーを浴びていると、アシスタント
から連絡が入る。準備完了。早速ホテルの前に付けたバンに乗り込む。
アイテムのチェック。子供用のビニールプール。空気入れで膨らませるやつだ。
「けろけろケロッピ」のキャラクターが書き込まれている。それに、釣り糸。
バンの中のメイクアップアーティストが、早速変装にとりかかる。俺もファン
デ−ションを塗り黒のコンタクトをはめ、すっかり日本人になりきる。となりで
メイクを施されている男は、急遽よびよせられたであろうスナイパ−、本物の
銃の射撃手だろう。
大使館の近くに車をよせると、あいかわらず右翼の街宣が続いている。バンを
降り、アシスタントの先導で街宣車に乗り込む。日の丸のついた黒のツナギに
パンチパーマの工作員と握手。本物の右翼は、車の奥で麻袋にくるまれ、薬で
オネンネだ。
自分も黒のツナギにきがえ、「パンチ」とよばれる髪形のカツラをつける。
どうもこのセンスは理解できないが、仕事上やむをえまい。
会談10分前。スナイパーが助手席に陣取り、大使館にライフルの標準を
あわせる。アシスタントが街宣車の屋根に登り、けろけろケロッピのプールに
空気を送り込む。
しわがれていたカエルのキャラクターが、生き返ったように両手を広げる。
大使館の窓にはカーテンがかけられ部屋の中を見ることはできないが、仕掛け
られた盗聴器で中の様子をうかがうことができる。
アラビア語の通訳を担当するアシスタントが、会談が開始されたことを告げる。
助手席の狙撃手がライフルを発射。着弾とともに粘着剤を吹き出す特殊ゴム弾
が街路樹の隙間をすりぬけ、大使館の窓ガラスに張りつく。
すかさず軍歌を止め、特殊ゴム弾がひきずっていった釣り糸を、ケロッピの
プールにつなぎ止める。
部屋とプールを両端の受話器とする、巨大な糸電話の完成だ。
すかさず、プールを街宣車のスピーカーにかぶせ、大音量でクリティカル・
ワードを流し込む。
盗聴器で効果をモニターする。完璧だ。
しばしの沈黙の後、王子と外交官が口ケンカを始めた。どうやらクリティ
カル・ワードが、留学中の色恋沙汰を思い起こさせたらしい。
双眼鏡で部屋を覗き込むと、血相をかえたハッサンがカーテンを開け、辺りを
キョロキョロとみまわす。
俺は屋根に登り、奴が気づくようにプールを宙高くほうりあげ、パンチの
カツラを振ってみせた。
街宣車は再び軍歌をかき鳴らしながら、現場を離れる。
バイバイ、アラブの蛇。借りはかえしたぜ。
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